<天六阪急ビル>また一つ、寂しさ 駅ビルのモデル、解体へ−−大阪(毎日新聞)

 ◇大正建築、地域のシンボル

 大阪・天六の名物ビル「天六阪急ビル」(大阪市北区天神橋7)が今年春、取り壊される。国内で初めて屋内に高架のプラットホームを設けた駅ビルとして1926(大正15)年に建設。商業ビルとなった近年も、大正時代の重厚な雰囲気を残してきた。地元では「長年の地域のシンボル。残念」と別れを惜しむ声が上がっている。【松井聡】

 新京阪鉄道(当時)が建設。鉄筋コンクリート造り7階建て(延べ約1万4000平方メートル)のビルは周辺で際立つ高さだった。2階部分が、京都に向かう路線の起点となる「天神橋駅」のホームで、上層階に食堂や鉄道本社が入った。駅前にはバスやタクシー乗り場も整備され、通勤客らの他、行楽シーズンには京都・嵐山への直通列車を待つ人であふれたという。現在の一般的な駅ビルの形態だが、こうした構造は当時では珍しく、その後の日本の駅のモデルになったとされる。

 その後、会社合併などを経て阪急電鉄の路線となり、69年、大阪市営地下鉄堺筋線との相互乗り入れ開始に伴い、駅は「天神橋筋六丁目駅」として地下に移転。地上駅の天神橋駅は廃止された。ビルは翌年から順次増改築され、商業ビル「天六阪急ビル」として再出発した。

 現在は、茶色のレンガを基調にしたビルとなり、スーパーなどが営業。裏手にはプラットホームの跡があり、ツタが巻くさび付いた支柱など、駅の面影も残す。改札からホームに上がる大理石製の階段も当時のままだ。

 しかし、近年はテナントが埋まらない状態が続いており、ビルも老朽化。このため、高層マンションに生まれ変わることになり、今年春から解体工事が始まる。

 近くの靴店、上田仁司さん(66)は「昔は毎日通勤客でごった返していた。ずっとそばにあったビルだから、名残惜しい」と話した。

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